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温泉ランニング

温泉ランニング誕生の経緯

<12分間緩走時代>
私がランニングを始めるきっかけになったのは会社で主催された健康つくりセミナーであった。高血圧の予防としての12分間緩走を習ったが、毎日続けなさいということで,その週の日曜から始めた。1985年のことである。当時は大阪の千里の万博公園の近くに住んでいたので、万博周回道路を走った。朝はやはり気分的な余裕がないので毎日帰宅後に走った。体重のグラフを付け出したのもそのころからである。見る見る体重が減ったのでうれしくて仕方なかったのを覚えている。

<万博周回道路5kmジョギング時代>
約1年毎日帰宅後に走るのを続けたがやはり仕事が忙しくなるのがきっかけに走れなくなり、合計距離が同じなら1度に走ってもいいとランニングの専門家から聞いて土日にそれぞれ万博公園1周(5.2km)を走るように変更した。このころからジョギングの段階に入る。たまに2周走り、おれは10kmでも走れるのだと感心した時期もあったが、毎回2周走るということはなかった。それでもこれを続けることにより確実に体重は減った。血圧も下がった。

<家の近所の様々なコースのランニング時代>
1994年万博周回道路という好条件の環境から宝塚の山合いに引越した。習慣として続けてきた土日のジョギングを再開するのであるが土地柄、急な坂ばかりでコース選びに困った。それでも除々に適度なコースが見つかり、むしろ千里よりも自動車の廃棄ガスもなく静寂の緑の中を走るコースが増えた。引越しで環境が変わりマイナス面ばかり考えることが多いが工夫でいくらでもプラスにすることが可能だと感じた。そして距離がどんどん伸びて、トムハンクスの映画「フォレストガンプ」(主人公が突然走りに目覚めアメリカ大陸を走りまわる話)の影響を受け、自宅の宝塚から舞子まで42kmを走るようになった。もっとも最初は30kmぐらいからボロボロでほとんど歩いていた。これほどの長距離のときは帰りは電車であった。なぜなら海などの景色を求めて行けるところまで行ったからであった。

<風光明媚なところを求め最寄りの駅まで電車で行く時代>
こんどは除々に走る場所にこだわりを持つようになり、海岸沿いや渓谷など風光明媚なところをさがして走るようになり、そのためなら最寄の駅まで電車で行き、帰りも電車という走りかたをするようになった。記念すべき第1回は南紀の南部まで電車で行き、海岸沿いの熊野古道を紀伊田辺まで走るコースであった。その後白浜で日帰り温泉に入った。1999年5月だったと記憶する。

<走ったあと温泉で疲れを取り汗も流して気分よく帰ることに喜びを感じる時代>
風光明媚なところを走る場合、帰り汗だくのまま電車で帰るのは気持ち悪い。そのうち目的地を著名な日帰り温泉にし、そこまでのコースでかつ風光明媚なところを自分で地図で捜すようになった。着替えを入れるランニング用リュックも採用した。
「温泉ランニング」の誕生である。2001年1月である。


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